2005年03月22日

選べるから悩む。選べないから悩む。

九代目林家正蔵襲名のニュースを見ながら感じたこと。
小さいときから、生まれたときから運命が定まっているというのは、どういうものなんだろうか(いや、もちろん、その本人が絶対やだ!と言えば、それを選択しないというのもありうるのでしょうけどね)。おそらく物心つかないくらいのときからずっと「大きくなったらお父さんのような落語家になるのね」と言われながら育ってきたはずです。しかも気づいたら背負っているものが意外に大きいぞ、と。

ここまで伝統を背負ったものでなくても、ほぼ、自分の親の仕事を引き継ぐことになる人は、決して少なくないでしょう。それを自身の仕事としていくのに、「それが好きだから」という思いは、もしかすると最初の時点では、存在しないのかもしれない。けど、親の姿を見ながら、そんなものかと納得したり、一旦は反発して違う仕事に就いても戻ってくるということもあるのでしょう。

一方で、普通のサラリーマン家庭であれば、「継がなければならない」ものがないわけです。なにをするのもその人の自由。なにをやりたいですか?あなたのキャリアプランは何ですか?あなたは何が得意ですか?などと、延々考えることを迫られます。働いたことがないのに、あるいは働いている現場を知らないのに、さああなたの社会人人生の入り口を決めろと言っても難しいに決まっているじゃないですか。

日本は、国の憲法によって、公共の福祉に反しない限り、職業選択の自由を有すると保障されています(第22条)。自由であるということはつまりどんな仕事をしようがしまいが勝手ですよ、ということではなく、どんな仕事に就くか、自分で考え、決定しなさいよ、あなたにはその義務があるから、ということなんですよね(勤労は国民の義務のひとつ=第27条)。

どんな人であれ、仕事に就くのは重大事なんです。

だから、仕事が選べない環境であっても悩むし、選べる環境でも悩む。
それは、自分が自分らしくあるにはどうしたらいいんだ、という悩みであり、だれにどんなふうに必要とされているんだ、という悩みなのだと思います。


posted by sumie at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | キャリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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